神話の物語
神代の昔、コノハナサクヤヒメという美しいヒメがおりました。
高天原から降臨した
ニニギノミコトは
舟でこの地にたどり着き
豊かなこの土地を
たいそう気に入りました。
ある日、小川のほとりで
水汲みをしていた
コノハナサクヤヒメ。
その美しい姿を見初めた
ニニギノミコトは
結婚を申し入れます。
結婚の話を聞いた
父神オオヤマツミノカミは
たいそう喜びました。
そして、花のごとく
繁栄のしるしとして
コノハナサクヤヒメを、
永代の命のしるしとして
姉のイワナガヒメを
送りました。
しかし、ニニギノミコトは
イワナガヒメを
送り返してしまいました。
それ以来、神の御子の命も
限りあるものと
なってしまったそうです。
ニニギノミコトは
逢初川のほとりに
立派な御殿を建てました。
新婚の一夜を過ごすと
ニニギノミコトは
士族の征伐にでかけました。
しばらくして征伐から帰ると
コノハナサクヤヒメは
臨月を迎えていました。
ニニギノミコトは
たった一夜の契りで
子を身ごもったことを疑います。
ニニギノミコトに
疑いをかけられた
コノハナサクヤヒメは
戸の無い産屋を建てて
こもりました。
そして
「天孫の子なら無事に
生まれるでしょう」と言うと
中から火を放ちました。
燃え盛る火の中、
ホデリノミコト
ホスセリノミコト
ホオリノミコトの
三皇子を生みました。
コノハナサクヤヒメは
元気に生まれた
三皇子の産湯に
近くの湧き水を使わせました。
湧き水は「児湯の池」と
呼ばれるようになりました。
記紀の伝承地は、
二人の物語とともに
今も大切に守られています。
日本で最古の文献と言われている「古事記」の「記」と「日本書紀」の「紀」の二文字をとって名付けられた道で、沿道には、天孫ニニギノミコト(アマテラスオオミカミの孫)とその妃コノハナサクヤヒメの日本初のロマンスにまつわる日向神話ゆかりの地が点在しており、散策を楽しみながら古代ロマンを感じつつ、神話の世界に触れることができる。コノハナサクヤヒメを祭神とする都萬神社を出発地として、西都原古墳群の男狭穂塚、女狭穂塚までの全長約4キロメートル(徒歩約1時間)の道である。
国内有数の規模を持つ西都原古墳群。その最大のものである男狭穂塚・女狭穂塚は、天孫ニニギノミコトと妻であるコノハナサクヤヒメの墓であると伝えられ、陵墓参考地に指定されている。また、周辺には二人が出会った地であるいう逢初川や、三皇子が産湯を使ったとされる児湯の池など、ゆかりの地が多い。